ちょっと立ち止まって見つけた小さな幸せ
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今日の作品は『ヒトラー最後の12日間』です。
「美化している」だの「大げさに誇張しすぎている」だの世界中で賛否両論の意見があるためなんとも言えませんが、私の中ではヒトラーという人物に対する印象が大きく変わる作品ではありました。 感想など↓↓ 今まで私の中にあったヒトラー象とは、とても心の強い人間であると言うものだった。
誰の意見にも屈しず、自分がこうと信じたことにはどこまでも突き進んでいく。自分を信じて疑わず、それに刃を向けるのなら容赦なく殺してしまうような。 実際この作品の中でもそういう面は描かれている。しかし、この作品に登場するアドルフ・ヒトラーが、私にはとても弱いおじいさんに見えて仕方がなかった。本当は弱いのに強がって、自分は正しいのだと必死で自分に言い聞かせている。周りからどう思われているのかも、本当はもう終わりなのだということにも気付いているのに、どうしてもそれを認めることができない。 しかし、そんな人間的な一面をもっていても、ユダヤ人を大勢虐殺したという事実を変える事はできない。 ヒトラーのやり方が間違っていると思っていても、降伏だけは認めようとしない軍人。どんな状況であろうとナチスを信じ、統帥であるヒトラーを信じ抜こうとする国民。 ヒトラーを初めとするその全ての人間が、あの恐ろしい戦場の中で夢物語をみている。無論、あの状況下だからこそとも言えるのだろう。 でも私から言わせれば、現実を見つめようとしない人間の愚かな心理に目を曇らせてしまっている人達に見えて、なんだかとても切なかった。 映画の最後の方と言えば、自殺のシーンばかり。どうしてそうまでして忠誠を誓わなければならないのだろう? ヒトラーが死んだ後も、一度は忠誠を誓ったからと自ら死を選ぶ兵士ばかり。 戦争の時代どこもそうなのだろうか? 生きることの大切さよりも、自分の信じた人間に尽くし、最後まで信じ切る。そっちの方が大切だというのだろうか? 言いたいことは解るつもり。それを自分の生き方だと言われてしまえばたぶんそれを曲げさせることは他人にはできない。 でも私には、生きてるからこそできることを探すことの方が、大切なのではないかと思えてしまう……というのは、やはりきれい事なのだろうか? この作品を見終わったあと、なぜか涙が出てしまった。 悲しいという映画でも、特別感動する映画でもない。なのになんで泣けてきたのか自分では説明できない。 ただものすごく、苦しかった……。 私には以前から考えていたことがあります。 どの戦争を題材にした作品でも、自分の国を舞台にして描けば当然自分たちがしたことには触れず、美化してしまいます。それに対して批判をする者も絶賛する者も、それこそ賛否両論でいるでしょう。 でも、私にはそれで良いのではないかと思えてしまいます。 だってそうでしょう? 結局はみんな悪い部分しか見えていないんです。それだったら正当化したっていい。両方見えていいものだと思うし、両方見えるべきなんじゃないでしょうか? 悪い部分も言い部分どちらもきっと本当の真実。ならばそれを両方受け止めることが大切だと思う。 とくに戦争の様なモノを題材にした作品では、絶対に一本じゃ全てを描くことができないと思います。良いところも悪いところも全て一つにして、一本だけでなく何本もの映画全てを足してようやく一つの真実と言ってもいいのではないのでしょうか? みんながみんな自分を正当化しようと考えてしまうのは、同じ人間ならわかっているはず。だったらなおのことかたくなに拒まず、全てを受け入れることのできる柔軟さが大切なのでしょう。 PR この記事にコメントする
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あずま
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1987/07/04
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夢は作家。
好きなものはラーメンズ! 最近では舞台の脚本、コントなどにも関心があります。 とりあえずラーメンズがあれば生きていけます。
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